院長挨拶

  
院長写真
  • 宮沢塾継続メンバー
  • 日本カイロプラクティックドクター専門学院主席卒業
  • 米国ライフカイロプラクティック大学人体解剖修了
  • アクティベーターテクニック上級セミナー修了
  • トリガーポイントセミナー修了
  • スポーツカイロプラクティック終了
  • スーパーフードアドバイザー
  • 社会福祉士
 
 初めまして。
りずむカイロプラクティック整体院の宮崎敏彰です。
和歌山県出身で、中学は柔道部、高校は登山部、大学は吹奏楽部と色々なことにチャレンジしてきました。趣味は釣りと週2回の自重トレーニングです。
2018年生まれの娘がかわいくて仕方ない1児のパパです。
 
 頭痛・肩こり・腰痛・自律神経失調症を専門に2010年2月に開業。九州一円から紹介で患者が来院します。頭痛や耳鳴り、首・肩・腰の改善には自信があります。病院で原因不明とされる症例を数多く施術し、医学的・科学的な検査に基づく結果を出してきました。
どこに行っても良くならない患者さんの為に治療を行っています。
 
 

治療家としてのストーリー

 
 
『治療家を目指した理由』
 
 この仕事を始めたきっかけは、母が看護士をしており、小さいころから自然と医療に関わっていたからでした。医療福祉大学を卒業し、社会福祉士として勤務していましたが、偶然見つけたカイロプラクティックに強く興味を持ちました。
 
 一日100人以上の来院、遠方からくる患者さんの為に宿泊施設まで完備。日本では見たことも聞いたこともスケールに圧倒され、「自分もこれを日本でしたい!」と思い、勤めていた施設を正社員からパートへと変更してもらい、カイロプラクティック学校へ通います。
 
 学校ではバキバキする技術を教わりました。その時は分かっていませんでしたが、そのバキバキが自分の人生を狂わせることになります。
ただ、その時は自分の憧れに近づいていると思い、一生懸命勉強し、技術を練習し、首席で学校を卒業しました。
 
 『体の不調による挫折』
 
 学校卒業後熊本へ移住し、カイロプラクティック院で社員として働き始めて3か月。朝起きてコーヒーを飲もうと左手でカップを持とうとすると、カップが持てませんでした。「あれ、おかしいな?」と思ってから徐々に体がおかしくなります。
 
 夜中に左手がしびれて痛みで目が覚める、左手の感覚が鈍い、物が上手くつかめない・・・。すぐに病院に行き、レントゲン・MRI・CT等色々な検査を受けましたが、明確な診断はなく、胸郭出口症候群に近いかな?と判断されました。
 
 カイロプラクティックもしてもらいましたが、改善はなく、「このような状態では患者さんを触ることはできない!」と考え、治療家を辞め、派遣社員として三菱電機のチップ製造をしていました。原因がわからず、治療方法もないなら、療養しかない・・・
体に負担をかけず、自然に回復するのを待つ決断でした。
 
 それからは地獄のような日々でした。脱サラしてまでやり始めたカイロプラクティックが出来ない。その理由が自分の体。自分のせいで自分がやりたいことが出来ない現状に苦しみました。やりたいことが出来ない苦しみで無気力になっていきます。
 
 
 
 
 『治療家へ出戻り』
 
 そんな状態が1年半続いたころ、なんとなく体が良いような感じがしてきました。家族と相談し、健康を一番に考えた状態で、再び治療家を目指すことにしました。
 
 地獄のような1年半の経験から
「どこに行っても良くならない、何が原因かも分からない」
そんな状態で悩んでいる患者さんを改善し、健康へと導ける治療家になろうと決心し、2010年2月に開業後、様々技術セミナーに出席しました。
 
 色々なセミナーに出席して勉強をするも、自分が当初目指したカイロプラクティック施設に届くような治療方法に出会うことはできませんでした。
「どこに行っても患者さんを良くする技術に出会えない!」
「どこに行っても良くならない患者さんはどうすればいいんだ!?」
「また自分のように苦しむ人が出てくるのでは!」
 
 まだ自分が知らない何かがあるはずと思い、カイロプラクティック、整体、オステオパシー等色々勉強しますが、やはり出会えません。
宇宙エネルギーや波動、瞑想等色々なものにまで手を出していました。
この頃の精神状態はぐちゃぐちゃでした。
 
 
 
 
『人生を変えてくれた師匠との出会い、そして衝撃体験』
 
 諦めそうになりながらも、偶然東京の世田谷にもの凄い先生がいると知ります。どこに行っても良くならない患者さんが全国から集まる先生。
看板がなく、電話番号の掲載もなく、会員制の整骨院をしている・・・。
凄そうだなと思い、セミナーを受講しました。
 宮沢師匠に治療して頂き、僕は「感動」しました。気持ちいいとか、痛みがなくなったとか、そんなレベルではありません。治療を受けて感動することなんて初めてでした。
これが出来きるようになれば、僕が治療家に戻った想いを達成することが出来る!と確信しました。
 
 その後会員制の宮沢塾に無事合格し、毎月2回東京で勉強するようになり、一番驚いたのが、自分の地獄の1年半が起こった原因でした。
元々交通事故に5回程あっており、その状態で首をバキバキ鳴らす矯正を受け続けた結果、自分の首が歪みまくっていることを初めて知りました。
 
 宮沢師匠には「高速をバイクで走行していて、左の壁に接触し、その後中央分離帯にぶつかり、また跳ね返って今度は高速の高架から落下して死にかけた人の首そっくり!」と言われました。
その話を聞いた時に全てのつじつまがあいました。そんな首なら辛くて当然だと思いました。
 
そして宮沢師匠との出会いは、私の健康も取り戻してくれました。良くなったとはいえ、違和感があった左手が何も考えなくても良いほど、忘れてしまうほど良くなっていました。毎月2回の勉強時に治療を受けた結果です。
最高の師匠と同じ想いの治療仲間に囲まれ、不安なく仕事することができています!
 
 
勉強風景
 
 
『治療への信念』
 
 今は自分の辛かった経験を元に
「どこに行っても良くならない患者さんを健康に導く」
「正しい検査で正しい施術を!」
特に検査では提携先医療機関の医師と一緒に釣りに行くぐらい親密な関係を気づいています。人生かけて治療をしています。
最後までお読みくださりありがとうございます。
「あなたに会える日を楽しみにしています」    宮﨑 敏彰
   
 
臨床研究発表
 
 
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